日記【縁は異なもの味なもの】

とは言え、縁を結ぶ、つなぎ止める努力は大事ですよね。

16日から新しい職場で始動するにあたり、就業準備と様子見をかねて実家に行ってきました。実家では約20年ぶりに父が単身赴任から戻り、両親が同郷を始めています(家庭崩壊していた訳ではないです、念のため)。私は実家暮らしではないですが静岡にUターンしましたし、これも何かの縁でしょうか。さらに高校の同級生にもUターン組が居るのも何かの縁でしょう。

さて、病気をしたときの療養中にバイトをしていた店に顔を見せに行ったのですが、当時から働いていた人が今週で辞めるという。たまたまタイミングよく辞める前に話をする機会に恵まれたのも何かの縁。これからの新しい人生が幸多きものであることを願ってやみません。私がそのバイトを辞めたときに、今回辞めた人とは違うスタッフからですが暖かい励ましと祝福のメッセージを頂きました。その方とは残念ながら縁遠くなってしまいましたが、縁があればまたどこかで会うこともあるでしょう。

いろいろは人との縁の中で生かして頂いていることを今日は強く実感しました。願わくば、今まででは縁遠くなってしまった人、今も縁のある人、これから縁が結ばれる人、そしてこの先も縁がない人にも、ささやかでも幸せが訪れますように。

読書な日々【ネットvs.リアルの衝突】

急速に進化するネット世界と従来型社会システムとの歪みを問いかける。しかしサブタイトル「誰がウェブ2.0を制するか」については全く不明。

ネットvs.リアルとありますが、著者は全11章のうち6章までをWinnyに当てている。インターネットの理想としてのP2P、ファイル共有ソフトの誕生からWinnyの登場、Winny作者の逮捕と実刑判決、そしてWinny経由での情報流出。「ネットvs.リアル」という対立軸で言えば、ネット上での違法ファイルの流通に対して有効な対処のとれない当局が、共有ソフトの作者を検挙という裏技に出たってところでしょうか。

後半は標準化問題、オープンソース、IPアドレス管理などに触れながら、インターネットを統制しようとする諸勢力のことに言及しています。と言っても、NEC PC98シリーズがIBM PC/AT互換機に駆逐されたこと、国産OS TRON計画が頓挫しWintelが如何に覇権を手にしたか、IPアドレスを巡る各国のせめぎ合い・・・など、ネットをとりまく世界情勢と言うことでしょう。

Winny判決については専門家ではないので是非はわかりませんが、P2Pのファイル共有を専ら著作権的に違法なファイルのやり取りにしか使用されていない現実の中では致し方ないかもしれません。逆に、Winnyによって浸透したP2Pの技術を如何に使うことが健全な発展の方向なのかを示唆して欲しかったと思います。また、後半部分に関しても、事例を上げるばかりではなく次の一手を考える布石になるものが欲しかったと思います。「ネットvs.リアル」と言えば、2ちゃんねるの管理人ひろゆき氏の裁判と強制執行の行方も気になるのですが、そちらについて触れられておりません。

ついでに。ネットとリアルを対立軸に捉えることに意味があるのかと思う。インターネットが急速に普及して10余年。メディアとしても無視できないものに膨れ上がり、光も影も次第に認知されてきました。そこで、ネットとリアルをどうリンクさせるのが上手いやり方なのか。著作権しかり、ネット犯罪しかり。さらにネットから収益を上げる有効な手段はないのか。その辺を掘り下げていく先に「ウェブ2.0を制する」答えがある気がするのですが。

「ネットvs.リアルの衝突」佐々木俊尚著/文春新書(2006年12月20日初版)

日記【再インストール】

目下格闘中

先日、BootCamp(Intel入ってるなMacでWinを起動させるソフト)がベータながらVistaに対応したので、WinVistaを購入(給料がでたので)しインストールしようとしたところ、MAC OS Xの問題で再インストールしろと言われる始末。仕方なく格闘中。

このマシンに乗り換えたときは全マシンの設定を移行したので昔からのゴミファイルも多いしいい機会なのだが、しかし近いうちに今度はMAC OS Xのアップグレードもあるだろうから、結局は二度手間な気もするのが癪です。今のうちにやっておきたいし。

WinVista導入の目的はIE7を含む新しいテスト環境の構築。はたして如何なものか。

日記【台湾のこと】

すっかり放ったらかした台湾旅行のことを少し。

3/5〜9に台湾旅行に行ってきました、もちろん中国語は喋れません。初日と最終日はほぼ移動のみですので正味3日間。緯度で言うと沖縄よりも少し南にある台湾は暖かいと聞いていたが、少し肌寒かった、そして雨が多い。中国に比べると非常に親日的。

2日目はツアーの台北市内観光。孔子廟や中正記念堂(蒋介石記念館)、忠烈祠(台湾版靖国神社)、故宮博物院などを駆け足で回る。まあ、下見みたいなものでした。忠烈祠で見た衛兵の交代式は凄かった。一糸乱れぬ行進や瞬き一つしない衛兵の様はすごかった。軍隊のストイックな様式美なんだろう。夜は夜市に出かけ、屋台で晩ご飯。こういう風情もなかなか良かった。

3日目、終日自由行動。九份の町並みを歩く。「千と千尋の神隠し」で両親が豚になる町のモデルになった土地。昔は金鉱がありゴールドラッシュに沸いたらしい。台湾の鉄道にも乗った。夕方からteipei101(高さ500mの現在世界1の高層ビル)へ。エレベーターでほんの数十秒で展望階まで上がってしまう。度を超えた超々高層ビルはもはや理解不能。

4日目、終日自由行動。ずっと故宮博物院。世界4大博物館の一つ、中華文明の至宝が眠る博物館。日本がまだ旧石器時代だったころに高度な文明が芽生え、発展してきた歴史が感じられます。人類ってすごいです。もっと見ていたかった。

駆け足の旅行記録でしたが、台湾で感じたことをいくつか。
・コンビニのレジ袋は有料。進んでいるのかはわからないが、見習うべきだと思った。
・地下鉄(MRT)のチケットは広告が印刷されていて、たぶん再利用される。エコだな。
・原付が多い。中国の自転車が原付になった感じ。排気ガスでマスクが必須なのは×。
・ミスドは大人気。

ここからはちょっと政治的な話も絡みつつ。
台湾は正式には中華民国。つまりは孫文が打ち立てた清朝を継ぐ中国の正当な政府(を主張)。で、第二次大戦後の内戦に敗れて大陸から一時退却してきた(となっているので、国土は台湾を含む清朝が支配していた中国全土)。つまりは、政府も元は「征服王朝」。では、その前はと言うと日清戦争〜第二次大戦までは日本の植民地支配。その前は清朝が、明の残留勢力を討伐してそのまま支配(17世紀〜)。歴史的にはそういう経緯。もちろん今も、中国との緊張もある。ちなみに、以上の経緯から台湾では沖縄は琉球という清朝と交易のあった国家であり、空港は「okinawa 琉球」と表記される。

さて、蒋介石と言う人は、偉大な英雄なのかも知れないが、事実上の独裁者で武力弾圧もしたし息子を後継者にもした。余談だが息子の蒋経国は優れた人物で、民主化と経済発展の基を作り、政府と在来台湾人との融和を進めたらしい。民主化されたのはこの15年くらいの話。個人の功績を讃えるのに中正記念堂なんていうものを作っちゃうあたりは、どこぞの金さん一家と変わらん。

そもそも台湾の国際的な位置づけは中国の一地方で、国ではない。歴史的、政治的に微妙なこの地域がこの先どこに向かうのか、興味が尽きないところです。

日記【眠れない夜と雨の日には】

忘れかけてた愛がよみがえる、らしい。

眠れない夜は長い、もう2時半です。本を読んでいたら、妙に目がさえてしまい眠れなくなった。最近読み終えた本が「不勉強が身にしみる(長山靖生著、光文社新書)」。不勉強と言うより親の見識不足(教育すべきことがわからない親)から始まって社会の不見識(社会や教育矛盾、頭を使わない社会への不信)に至る、壮大な「バカばっか論」と言ってしまうと極論にすぎるでしょうか。

ゆとり教育は理念は立派だったが、あまりに内容(到達経路)に乏しかった。個人の個性を評価するのは大事なことだが、他人との競争だって必要だ。でもって学力低下・ぶっとんだ事件などに一喜一憂し、右往左往する大人はしかっりしろと。考えさせられることは多かったのだが、それが不勉強かと言われると違う気がする。日本の教育が「学び覚える」ことを重視し、「学んだことを活かす」ことにはあまり力を入れてこなかったのは事実かも知れませんが、それは不勉強なのかと。

確かに不勉強は身にしみてます。もっと勉強しておけば良かったと思うし、今でも日々勉強です。機会があれば大学にもまた聴講とか出来ればと思う。結局のところ、不勉強という意識は知的好奇心の裏返しなのかもしれません。

日記【台北は雨が多い】

そんなこんなで三月も十日が過ぎました、目下絶賛有休消化中。

人生の春休み中です、有給が23日残っていて、うち20日も消化できるなんて・・・というか、ほとんど有給使ってなかったし、月休2日とかだったもんな。近況としては、引っ越しもなんとか終了し、現在段ボールの山に囲まれて生活中です。場所は富士市、富士山がほんとにキレイです。製紙工場の町で、空気と水が不味いのは難点です。田舎なので夜は暗いです。

あと、先週はずっと台湾に行っていました、旅行です。いろいろ勉強になりました、息抜きとしても良かったです。台湾でも生きていけそうです、中国語が話せれば。故宮博物院で中華の至宝を見学し、コンビニが四つ角ごとにあって袋は有料、雨が多く小雨には負けない、世界一の高層ビルはもはや理解不能、その他もろもろ。またちゃんと日記を書きます。

という訳で、生きています。多分にダメ人間生活ですが。
自分向けTo Do。明日は市役所に転入届を出し、警察で免許の住所変更を忘れずに。

日記【京都の思ひで -日常編-】

さよなら京都日記、その1。私の好きな日常の京都。

京都市は人口140万人を数える政令指定都市、人口規模で言うと全国6位の大都市です(東京23区を除く)。歴史は古く、8世紀の終わりから19世紀まで実に1,000年以上も日本の都(首都)であり続けました。その辺の普通の神社や寺が国宝級だったり、下手に土地を掘り返そうものなら何が出てくるかわかりません。京セラや佐川急便、ローム、ワコールなどの日本有数の企業やまぐまぐやはてなと言ったネット企業も京都から生まれました。一方で閉鎖的で、気位が高いところもあります。夏は無駄に暑く、冬は底冷えがします。春の桜と秋の紅葉に一喜一憂するのが京都人です。

京都の景観はチグハグです。東京や大阪のような超高層ビルはありませんが、由緒ある建築物を取り囲むようにマンションや商業ビルが建っています。京都の最大の資源は観光ですが、市民の日常生活はやっぱり便利さを求めます。世間が求める「日本らしさ」を感じられる地域は非常に限られているのが現実です。

この非常にミスマッチな京都の現実が実は好きだったりします。世界遺産のすぐ脇を幹線国道が走っていたり、都市計画は支離滅裂かもしれないのですが、そこには市民の生活があり、泣いたり笑ったりという日常と、伝統や文化遺産が自然に解け合っているのです。例えば、四条河原町という京都の繁華街の交差点では信号機がしまえるように作られています。祇園祭で山鉾が巡行するためにです。山鉾の保存も、オフィス街の雑居ビルのように建っていたりします。

窮屈な思いをしてまで都市の景観を守る訳でもなく、かといって古いものを捨てる訳でもなく、折り合いのつく範囲で上手くやっていく。そういう日常の京都が好きです。

日記【こんな小春日和の】

秋桜も10月も関係ないけど、いい天気です。

2月は逃げると言いますが、もう20日です。残り1週間。と言うことは、私の京都ライフも先が見えてきた訳です。今まで回りくどく言ってきましたが、単刀直入に言うと2月で京都を引き払って静岡に帰ります、家庭の事情ですけど。

帰ると言っても、それほど静岡に愛着がないのが事実。中学から高校までの約5年半を過ごした土地ではありますが、思春期を迎えてからの時間であり、「ふるさと」っていう感覚がないんですね。それまでも父親の転勤で各地を転々としてきたので、どの土地に関しても懐かしさこそあれ「ふるさと」という感覚はなんですが。

学生のときに病気をして実家に送還された時は、悲壮感というか敗北感というか、やり切れなさがあったのですが、今回はそういう重たさはない。また京都に戻ってきたいとは思うけど、いろいろな経験もして、大人になって、また機会はあるだろうって今は思える。

絶対に(京都に)帰ってくる、そう誓って実家に帰ってから7年余。自力で京都に戻ったし、今もやり残したことはたくさんあるけど、やりのこしがあるから、また帰ってくる。いつかきっとね。

日記【ノーサンキュー】

雨は嫌いです、何となく憂鬱になるから。

ありがた迷惑ということがある。善かれと思ってのことが必ずしも有り難がられるとは限らない訳ですが、ちょっと気になることがあって。

通勤途中の橋の上にこのところ花が供えられています。昨年の今頃、早朝に事故があって亡くなった方があったようです。故人を偲び花を備えることは大事なことですが、その花はその先どうなるのでしょうか。風雨にさらされ朽ちていきますが、それを処分するのは誰でしょうか。土に還る花はともかく、包んでいるビニールはゴミとして残ります。道を占拠している花を処分するのも忍びないし、踏みつけるのは罰当たりだし、困ったものです。

繰り返しますが、故人を偲び花を供えることを否定しているのではありません。その故人に向けるのと同じ気持ちを、近隣の住民と環境にも向けてほしいと思う次第です。

日記【不都合な真実】

この連休は野沢温泉でスキー(と飲み会)でした 。

しかし雪のないことと言ったら、もう絶望的なほど。これが地球温暖化の影響なのか、一過性の異常気象なのか、わかりませんがかつてない程に暖冬です。これはもうやばいよ、雪がないことは夏の渇水や農作物の作柄に直結するし、なによりスキーが楽しくない。

猛烈な台風とか竜巻とか、なんか自然の猛威ってすごいですよね。これも増えすぎた人の自然破壊が影響しているのか、ともあれピンチです。

厳しい冬も、夏の暑さも、四季のうち。日本の美しい自然は常に私たちを見ているのかもしれません。