機会の均等について考えた

子ども手当と高校無償化法案が衆議院を通ってから考えていたこと。

子どもは社会で育てるとか。親の収入格差が子の学歴に影響し、それが収入格差の遺伝とか何とか。それは確かに考えないといけない問題なんだけど。

それがこの政策で解決するかは疑問だけど、機会は均等であって欲しいとは思うわけで。

で、機会の均等とか格差って何だろうと。

最近感じているものに地域格差ってのがあって、僕らの仕事なんかでも「東京」か「地方」みたいな格差はあるんですが。仕事量や内容的なモノはもちろん、学習機会とかもろもろにおいて。

それが生まれつき首都圏に住んでいるか、地方で生まれたかってのが意外に大きいわけで。

そんなの東京に出ればイイじゃん的な話もあるけど、田舎の長男に生まれるとそれなりのしがらみもあるわけで。とか思ったら平等なんてないよなとか。

そんなこと言っても仕方ないし、地方なりの良さもあるワケで。

大学進学に際して東京方面ではなく京都に行ったのは自分の選択だったしさ。これに後悔とかはない。

答えはないのです、残念ながら。
なんてことを考えてる今日このごろ。

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